2018年1月9日火曜日

今週の今昔館(93) 天満橋風景 20180109

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(2)

 今回は、新シリーズ「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の2回目になります。引き続き地元の天満を取り上げ、前回ご紹介した三大橋を一つずつ描いた錦絵をご紹介します。

■天満橋風景(国員画)
 三大橋のなかで、最も上流部に位置する「天満橋」。江戸時代、谷町筋より一つ東に架けられていました。架橋年代は明確ではありませんが、大坂冬の陣の配陣図に「てん満橋」の書入れがあることや、ルイス・フロイスの『日本史』によると、天正14年(1586)以前に豊臣秀吉によって大坂城下建設の一環として天満橋の前身が架橋されたと推定されます。そして江戸時代に天満橋、天神橋、難波橋の三大橋はそろって架けられ、いずれも「公儀橋」に指定され幕府の直轄管理となりました。

 当時橋の南側には東西の町奉行所や様々な役所、北側には、大川沿いには町与力の屋敷、空心町にかけては同心などの官舎や営繕関係の役所・倉庫が建ち並び、天満橋はこれら役人が行き交う橋でもありました。その後度重なる流失を経て、明治21年(1888)天神橋と共にトラス構造の鉄橋となりました。現在は上部に高架橋ができ二層の橋となっています。

浪花百景「天満橋風景」(大阪市立図書館蔵)

■天神祭り夕景(国員画)
 2枚目は天神橋。天神橋は天満宮への参詣にあたる道に架けられた橋であるところから名付けられました。三大橋のなかで最も長い橋で、17世紀中ごろは、大川には淀川と大和川の水が入り川幅が広く、最長時には百三十七間(約250m)あったといわれます。
 また、天保8年(1837)の大塩平八郎の乱の折りには、天満橋とともに幕府の手で一部が撤去されています。町にとってのこの橋の重要性が見てとれます。明治18年(1885)に流失後、明治21年(1888)にトラス構造の鉄橋となりました。現存の橋は昭和9年(1934)に改築されたアーチ式の鉄橋です。

 天神祭は大阪の夏を彩る大祭。天暦5年(951)に神鉾を流して、流れ着いたところを斎場とし心霊を禊したのが始まりといわれる天神祭。船渡御は著名で、神輿が難波橋から船に乗り楽を奏して戎島の御旅所まで往復しました。地盤沈下の影響で昭和28年(1953)からは大川を遡行することになりました。

浪花百景「天神祭の夕景」(大阪市立図書館蔵)

■浪花橋夕景(国員画)
 現在、堺筋を土佐堀川と堂島川に架かる「難波橋」は、大正4年(1915)市電が走る橋として掛け替えられるまで一つ西の難波橋筋に架かっていました。当時は中之島は難波橋の西までしかなく、大川に架かる長い橋でした。架橋年代については豊臣時代に架橋されたのではないかといわれていますが、『元亨釈書』に天平17年(745)僧行基が摂州に難波橋を架けたという記事もあり、正確なところは定かではありません。

 江戸期には浪華三大橋として公儀橋に指定され、界隈には諸藩の蔵屋敷が建ち並びそれを取り巻くように問屋街が形成され、大変な賑いをみせていました。また納涼や花火見物、花見、月見にも絶好で舟遊びや避暑を楽しむ行楽地でもありました。現在は堂島川、中之島公園、土佐堀川にまたがって架かり、ライオン像を有することで知られています。堺筋にありますが、名前は難波橋を引き継いでいます。

浪花百景「浪花橋夕景」(大阪市立図書館蔵)

 三大橋や天満天神、天満市場あたりの町の様子を江戸時代の古地図で見てみましょう。まず初めに、天保年間発行の「浪華名所獨案内」。江戸時代の観光マップです。東が上になっています。淀川に上から順に天満バシ、天神バシ、ナニハバシが架かり、左側の北岸には青物市場と市ノ側、その北には天満宮があり、南岸には八ケン家があります。中之島はナニハバシの手前までしかありません。

 赤い線は観光のモデルコースを示しています。当時から名所であった場所が、浪花百景に描かれていることが確認できます。

浪華名所獨案内(「津の清」蔵・上が東です)

 次は、ラムゼイコレクションで公開されている文化3年(1806)発行の「増修改正摂州大阪地図」。三大橋には長さと幅が表示されています。幅はいずれも3間で、長さは天神橋は122間、天満橋は115間、難波橋は114間となっており、いずれも百間を超える大橋でした。

 大川北岸の天満橋と天神橋の間には、「青モノ市バ」の文字があります。白い△の印は天満組(大坂三郷のひとつ)を示しています。左下に見える黒丸(●)は、北組です。

文化3年(1806)発行の「増修改正摂州大阪地図」
(ラムゼイコレクションより)

 3枚目は、時代が下って大正13年発行の「大阪市パノラマ地図」。明治21年(1888)に架け替えられてトラス構造の鉄橋となった天満橋と天神橋が描かれています。北岸にびっしりと並ぶ町家は青物市場です。

 天満橋と難波橋には市電が通っている様子が描かれています。中之島が現在と同じく天神橋まで伸びています。
 4枚目と5枚目はそれを拡大したもの。橋の姿や青物市場の様子がよくわかります。

大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)
大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)
大阪市パノラマ地図(大阪くらしの今昔館蔵)


 次は、昭和12年の「大大阪観光地図」。観光名所に挿絵が入り、名前を丸で囲んだ赤字で示しています。天満天神、造幣局、難波橋、天神橋、中之島公園に加えて、「天満配給所」があります。青物市場が中央卸売市場に統合された跡地がそう呼ばれていたのでしょうか。

大大阪観光地図(国際日本文化研究センター蔵)

 明治時代以降のまちの変遷を、今昔マップを使って辿ってみましょう。

 1枚目は、明治41年(左)と昭和4年(右)。左の地図では、城東線(現在の大阪環状線)は通っていますが、道路や掘割には江戸時代の町割りのなごりが残っています。図の左上には堀川監獄があります。東西の寺町もよくわかります。難波橋は堀川から西に2本目の筋(難波橋筋)に架かっていた旧難波橋です。

 右の地図では、市電の開通と合わせて幹線道路の拡幅と橋の架け替えが行われています。難波橋は堀川から1本西の堺筋に移設されています。中之島は現在と同じ天神橋の東まで伸びてきています。天満橋をよく見ると、市電が橋の東側を通っています。パノラマ地図で確認すると市電はトラスの外側を走っており、正確に描かれていることがわかります。監獄が堺へ移転した跡地は扇町公園になっています。
明治41年と昭和4年の地形図(今昔マップ)

 2枚目は、左が終戦後の昭和22年、右は最近の地形図です。左の地図の白い部分は戦災で焼失した地域です。東天満の多くは焼失しましたが、西天満の老松町付近は焼失を免れました。天神橋北詰から市電の通る西天神橋筋までが拡幅され現在の姿になっています。

 右の地図は現在の国土地理院地図で、市電が廃止されて地下鉄谷町線と堺筋線が通り、国道1号線にはJR東西線も地下鉄と並行して走っています。天満堀川が埋め立てられて阪神高速道路が通っています。

昭和22年と最近の地形図(今昔マップ)

 最後に、グーグルマップを利用して空中写真と最新の地図を見てみましょう。文化3年(1806)の古地図と重ねて見ることもできます。古地図は正確な測量に基づくものではないため、多少のズレはありますが、大まかな位置関係を確認できて便利です。

グーグルの空中写真
古地図と空中写真の合成

 次は最新のグーグルマップです。地下鉄の駅や路線の位置もよくわかります。

グーグルマップ

 古地図とグーグルマップを重ねると、天神橋はほぼ正しく重なり、新難波橋は一筋東に、新天満橋は一筋西に架かっています。堀川と高速道路もほぼ重なっています。古地図の東西方向の位置関係はほぼ正確であることが分かります。

 一方、地下鉄とJR東西線が通る国道1号線は、天満天神を一部切り取り、星合池よりも南側を通っていますが、これは、古地図の方が南北方向に伸びた形で描かれていることが原因と推定されます。こうしたズレには注意が必要ですが、まち歩きの際に付近に昔は何があったのかを確認できて便利です。

古地図とグーグルマップの合成

 今回は、「浪花百景」の天満橋、天神橋、難波橋をご紹介し、江戸時代から最近までの天満のまちの変遷を見てきました。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。



〇企画展「道具のむかしばなし展―ものから学ぶ昔のくらし―」開催中です

 わたしたちのくらしは、この数十年で大きな変化をとげました。古くから使われてきた道具にかわり、それまでになかった電化製品が登場し、料理や掃除、洗濯にいたるまで、より便利で快適な生活を実現してきました。

 本展では小学校の学習内容に合わせ、さまざまな生活道具を展示し、くらしのうつりかわりを紹介します。また、昭和期の茶の間を再現した展示や、蚊帳や黒電話など道具に触れる体験コーナーもあります。

 さあ、道具たちのむかしばなしに耳をすませ、楽しく昔のくらしを学んでみましょう。

 展示内容は、こちらからどうぞ。
http://konjyakukan.com/temp-topic.html#2017/12/28




会期:平成29年12月16日(土)~平成30年2月10日(土)
開館時間:午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
会期中の休館日:毎週火曜日、年末年始(12月29日~1月2日)




〈関連イベント〉
① 特別講演会「道具が化ける?絵巻で読む付(つく)喪神(もがみ)」

講師:田中貴子氏(甲南大学文学部 教授)
日時:2018年1月27日(土)14:00~15:30(受付開始13:30)
会場:住まい情報センター 3階ホール
参加費:無料
定員:100名(要事前申込、先着順)
申込み方法:インターネット、又はハガキ・FAXにて。氏名(ふりがな)、年齢、住所、電話番号、参加人数(4名まで、お連れ様の名前も記載)を記入。
インターネットからのお申込みはこちらから
≫ https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/33011(住まい・まちづくり・ネット)

② ワークショップ「障子に親しもう」
日本家屋にはおなじみの障子。破れた障子を修理したり、影絵で遊んだりしながら、障子について学ぼう。
日時:2018年1月20日(土)、2月4日(日)14:00~
場所:9階木戸門横スペース
参加費:無料
小中学生以下は入場無料、高校生以上の方は常設展の入場料が必要です。
参加人数:先着10名 *事前申し込み不要。直接会場にお越しください。



〇今週のイベント・ワークショップ

1月10日(水)~13日(土)、15日(月)、17日(水)~20日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

1月14日(日)、21日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

1月13日(土)
町家衆イベント ワークショップ 『石臼体験』

13時30分~15時
時間内、参加人数制限なし、無料

1月14日(日)
イベント 町家寄席-落語

江戸時代にタイムスリップ!大坂の町で、落語をきいてみませんか
出演:桂出丸、笑福亭達瓶
14時~15時

町家衆イベント おじゃみ(有料)
古布を四角く切って縫い合わせて作るおじゃみ(お手玉)。
作り方をていねいにお教えします。
開催日:第2日曜
時 間:14:00~16:00

1月20日(土)
企画展イベント ワークショップ 『障子に親しもう』

日本家屋にはおなじみの障子。
破れた障子を修理したり、影絵で遊んだりしながら、障子について学ぼう。
14:00~、先着10名、無料(高校生以上の方は常設展の入場料が必要)
8階ロトンダにて開催

1月21日(日)
イベント 座敷舞

山村流の立ち方が華やかな舞を披露します
出演:山村若女 ほか
14時~15時

町家衆イベント 連鶴(有料)
折鶴がいくつもつながった連鶴。
一枚の紙から折るところに特色があります。
作り方を詳しくお教えします。
開催日:奇数月の第3日曜
時 間:14:00~15:30

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



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