2018年1月23日火曜日

今週の今昔館(95) 住吉高灯籠 20180123

〇浪花百景に見る江戸時代の大坂(4)

 今回は、新シリーズ「浪花百景に見る江戸時代の大坂」の4回目で、住吉大社の続きになります。住吉大社に向かう道筋の名所をご紹介します。

■住吉高灯籠(国員画)
 まず初めは、瀬戸内海から船で大阪に入ってくる場合に目に入ってくる高灯籠です。
 高灯籠は住吉大社境内前の出見の浜にあった高さ約16mの常夜灯で、住吉の代表的名所として知られていました。鎌倉時代末期、漁民により建立されたもので、灯台としての役割と住吉大社への献灯を兼ねるほか、展望台としても利用され、ここからの眺望は絶景でした。

 船場の町家の住吉詣は船で渡り、高灯籠の下の船着き場から社に入りました。灯籠の最上部は東は生駒山から紀泉山地、西は六甲山まで望める展望台。眼前に広がる出見の浜は、3月には遠浅の海が干潟となり、潮干狩りの季節となります。貝や魚釣りまで楽しめ、浜には蛤汁を出す茶店も出て大層な人出で賑わいました。

 昭和25年のジェーン台風で木造部分が破壊され、石組みの台のみが残っていましたが、昭和47年に道路拡張のため撤去されることになり、昭和49年に場所を約200m東の国道26号線沿いの現在地に移して再建されました。現在、海は埋め立てられ、高灯籠からはかなりの距離があります。

浪花百景「住吉高灯籠」(大阪市立図書館蔵)

■住吉岸の姫松(芳瀧画)
 大坂と堺を結ぶ紀州街道は住吉大社の社頭を通過、海岸線近くを並行して走る風光明媚な街道で、古くは「岸の辺の道」とも称されました。
 ことに住吉から今の帝塚山に至るこの辺りは紀州街道の東側まで波の押し寄せる岸で、岸の姫松と呼ばれる背の低い松原が続く景勝地で、古今和歌集にも「我見ても久しくなりぬ住江の岸の姫松幾世経ぬらむ」とあります。

 今は大和川の付け替えや新田開発により海岸線が西へ移動し、景観は失われました。現在住之江区東加賀屋4丁目に「姫松橋」のバス停があり、昭和48年までは西成区玉出にも「姫松通」という岸の姫松に由来する町名が残っていました。阪堺電車上町線にも「姫松」の停留所がありますが、かつての岸からは東に入った位置になります。

浪花百景「住吉岸の姫松」(大阪市立図書館蔵)

■住吉大和橋(芳瀧画)
 かつて淀川と合流して市中に流れ込んでいた大和川は、たびたび洪水を引き起こしていました。大和川は宝永元年(1704)現在の位置に付け替えられ、それに伴い大和橋が新設され、9月26日に完成しました。紀州街道が大和川を渡るところに架けられており、熊野詣や和歌山へ至る輸送路として、また貿易港堺を通る重要な軍用道路として整備され、公儀橋に指定されました。

 旧暦6月末日に行われた住吉大社の夏越大祓神事に続き、この橋を渡って神輿の渡御が行われました。堺の宿院(頓宮)に移された神輿が夜住吉に還幸する際、神輿をおくる堺の人々と神輿を迎える住吉の人々のかざす数百の松明が大和橋の上であかあかと燃え、北は明石、南は泉州海岸からも見ることができたといわれます。

浪花百景「住吉大和橋」(大阪市立図書館蔵)

 次に、住吉大社の頓宮である宿院のある堺の地図を見てみましょう。国際日本文化研究センター蔵の明治5年発行の「和泉堺市図」です。大和川の付け替え以降は、大和川が摂津と和泉の国境となりましたが、それ以前は堺市街地の中央部を通る「大小路」が国境でした。そのことから、「堺」の地名が生まれたといわれています。地図では、堺の市街地の中央部で左右で色の変わっているタテに通る道が大小路です。宿院は、大小路の南、和泉の国に入ってすぐのところに赤で示されています。
 この地図の右端には住吉大社が描かれています。
和泉堺市図(明治5年・1872・北西が上)
(日文研蔵)

 地図の右端部分を拡大し、上下反転した図です。
 左下の住吉浦の傍には「住吉高灯籠」が描かれ、松原を抜けると住吉鳥居前に出ます。鳥居をくぐり、反橋を渡ると、「住吉四社明神」があります。その左に「神宮寺」さらに「大海神」があり、奥には「奥天神」が描かれています。鳥居前の左には「住吉新家」があります。位置関係はともかく、当時から、堺の人々にとって、住吉大社は大事な存在であったことが分かります。
 神宮寺は廃仏毀釈によってなくなりますが、その他は、現存している住吉大社、大海神社、生根神社に相当します。
 鳥居前から右に街道をたどると「安立丁」があり、大和川には「大和橋」がかかり、「並松丁」を経て環濠を渡ると堺のまちに入ります。
 大阪の地図には詳しく描かれていなかった住吉大社や安立の町が、堺市の地図に描かれていることは、住吉大社と堺との縁の深さが伺えます。

和泉堺市図(部分)(明治5年・1872・南東が上)
(日文研蔵)

 次に、今昔マップ3を利用して、明治42年から最近までの地形図で、住吉大社から堺にかけての地域の変遷を見てみましょう。
 左上は明治42年、住吉大社と堺以外には、小さい旧集落と、紀州街道・熊野街道があります。大和川の付け替えによる土砂の堆積と、干拓によって、埋め立てが始まっています。右上は昭和7年、区画整理によって市街地整備が始まっています。左下は昭和22年、戦災によって紀州街道沿いの地域などが焼失しています。右下は最近の地理院地図です。

明治42年、昭和7年、昭和22年、最近の地形図
(今昔マップ3より)

 明治42年の地図を拡大して、詳しく見てみましょう。
 十三間堀川よりも西側は、干拓によって埋め立てが進んでいますが、旧住吉の津にあたる細井川の河口部は埋め立てられずに水面が残っています。
 大和川が付け替えられたことによって、川に運ばれてきた土砂によって、堆積が進んでいます。市街地化が進んでいない状況の中で、紀州街道と熊野街道(地図では「阿部野街道」)の道筋がよくわかります。

明治42年陸地測量部地図(拡大・今昔マップ3)

 最後に、堺市指定有形文化財の「住吉祭礼図屏風」を見てみましょう。
 住吉祭で住吉大社の神輿(みこし)が、堺の宿院頓宮(とんぐう)へ渡ってこられる様子を描いた屏風です。元々は「夏越祓(なごしのはらえ)」として旧暦の6月晦日(みそか)に行われていましたが、現在は8月1日に行なわれています。

 左隻(させき)は神輿の出発する住吉社頭の賑わいを描き、右隻(うせき)はイエズス会の宣教師たちの報告により「日本のベニス」とヨーロッパにまで知られた、安土桃山から江戸時代初期にかけての堺のまちを描いています。堺を描いた、現在のところ最古の絵画資料としてばかりでなく、堺のまちの有様を具体的に伝えてくれる歴史資料としても重要な作品です。

 左隻は住吉大社側で、左上が社殿で、太鼓橋を渡り神輿行列が堺へと向かいます。

住吉祭礼図屏風(左隻・住吉大社側)

 右隻は堺のまち側で、行列は町人たちが仮装などをした風流行列が堺の浜通から右上の頓宮へと向かいます。頓宮では神事相撲なども行なわれています。現在の大道筋(紀州街道)にあたる通りの入口には、中世より堺の特色とされる濠と木戸が設けられています。

住吉祭礼図屏風(右隻・堺のまち側)

 以上、写真と解説を堺市役所のホームページから引用させていただきました。

 「住吉祭礼図屏風」は江戸時代初期の作とされています。住吉大社と堺のまちは大和川が付け替えられるまでは地続きであり、当時から両者は大変深い関係にあったことが分かります。

 今回は、「浪花百景」の住吉大社に向かう道筋の名所3枚を取り上げました。また、住吉大社と堺との関係についてもご紹介しました。

 錦絵の解説は、関西学院大学博物館「浪花百景ー大坂名所案内ー」、大阪城天守閣「特別展浪花百景ーいま・むかしー」を参考にさせていただきました。



〇企画展「道具のむかしばなし展―ものから学ぶ昔のくらし―」開催中です

 わたしたちのくらしは、この数十年で大きな変化をとげました。古くから使われてきた道具にかわり、それまでになかった電化製品が登場し、料理や掃除、洗濯にいたるまで、より便利で快適な生活を実現してきました。

 本展では小学校の学習内容に合わせ、さまざまな生活道具を展示し、くらしのうつりかわりを紹介します。また、昭和期の茶の間を再現した展示や、蚊帳や黒電話など道具に触れる体験コーナーもあります。

 さあ、道具たちのむかしばなしに耳をすませ、楽しく昔のくらしを学んでみましょう。

 展示内容は、こちらからどうぞ。
http://konjyakukan.com/temp-topic.html#2017/12/28




会期:平成29年12月16日(土)~平成30年2月10日(土)
開館時間:午前10時から午後5時(入館は午後4時30分まで)
会期中の休館日:毎週火曜日、年末年始(12月29日~1月2日)




〈関連イベント〉
① 特別講演会「道具が化ける?絵巻で読む付(つく)喪神(もがみ)」

講師:田中貴子氏(甲南大学文学部 教授)
日時:2018年1月27日(土)14:00~15:30(受付開始13:30)
会場:住まい情報センター 3階ホール
参加費:無料
定員:100名(要事前申込、先着順)
申込み方法:インターネット、又はハガキ・FAXにて。氏名(ふりがな)、年齢、住所、電話番号、参加人数(4名まで、お連れ様の名前も記載)を記入。
インターネットからのお申込みはこちらから
≫ https://www.sumai-machi-net.com/event/portal/event/33011(住まい・まちづくり・ネット)

② ワークショップ「障子に親しもう」
日本家屋にはおなじみの障子。破れた障子を修理したり、影絵で遊んだりしながら、障子について学ぼう。
日時:2018年1月20日(土・終了しました)、2月4日(日)14:00~
場所:9階木戸門横スペース
参加費:無料
小中学生以下は入場無料、高校生以上の方は常設展の入場料が必要です。
参加人数:先着10名 *事前申し込み不要。直接会場にお越しください。


〇次回の企画展「浪花の大ひな祭り」

会期:平成30年2月18日(日)~4月2日(月) 
開館時間:10時~17時(入館は16時30分まで)
閉館日:毎週火曜日


 ひな祭りは女の子の成長を願う節句として、江戸時代には大坂の町人にも親しまれていました。上方の雛飾の特徴として内裏雛(女雛・男雛)が御殿に入る雛飾が、かつては多く作られました。また、台所道具を模した「勝手道具」は女の子に家事を教えるという意図を込めて雛に添えて飾り、手にとって遊ばれていました。
 本展では、上方の雛の特徴を持った大阪の商家の雛飾などを展示します。特に昨年寄贈された大坂の豪商「加島屋」(廣岡家)の豪華な享保雛と多種多様な雛道具の数々は必見です。また、全国から摂南大学に寄せられた雛人形の中から600体を飾る「大ひな壇」の迫力もお楽しみください。

http://konjyakukan.com/korekara.html


〇今週のイベント・ワークショップ

1月24日(水)~27日(土)、29日(月)、31日(水)~2月3日(土)
町家ツアー

住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」の9階「なにわ町家の歳時記」では、楽しいガイドツアーをおこなっております。当日ご来館の方は、自由に参加していただけます。
※団体でお越しの場合は、事前にお申し込みください。
開催日:平日・土曜日
(※日曜日・祝日は下記のとおり、町家衆による町家ツアーがあります。)
時 間:11:30、14:30

1月28日(日)、2月4日(日)
町家衆イベント 町家ツアー

江戸時代大坂の町並みについて町の特色や見どころをわかりやすく解説します。
時 間:13:10~14:00

1月27日(土)
町家衆イベント ワークショップ 『鬼のお面作り』

①13時30分 ②14時30分
当日先着各回10名、1人300円
*当日12時より受付で参加整理券を販売します。

1月28日(日)
イベント 筑前琵琶

和楽器の奏でる音色をお楽しみください。
出演:竹本旭将 他
14時~15時

町家衆イベント 絵本で楽しい時間
むかし話などの絵本を表情豊かに読み聞かせます。
じっくりとお聞きください。
開催日: 第4日曜
時 間:14:30~15:00

2月4日(日)
企画展イベント ワークショップ 『障子に親しもう』

日本家屋にはおなじみの障子。
破れた障子を修理したり、影絵で遊んだりしながら、障子について学ぼう。
14:00~、先着10名、無料(高校生以上の方は常設展の入場料が必要)、8階ロトンダにて開催

町家衆イベント 町の解説
江戸時代の大坂では人々はどのように暮らしていたのか。
当時の史料(複製)とともに町会所で詳しく説明します。
開催日:第1・3日曜
時 間:13:00~16:00


そのほかのイベント・ワークショップはこちらからご覧いただけます。
そのほか定期開催のイベントはこちらからご覧ください。


大阪くらしの今昔館の展示内容や利用案内などについて詳しくはこちらからどうぞ。

 「住まい・まちづくり・ネット」では、大阪市立住まい情報センター主催のセミナーやイベントの紹介、専門家団体やNPOの方々と共催しているタイアップイベントの紹介などを行っています。イベント参加の申し込みやご意見ご感想なども、こちらから行える双方向のサイトとなっています。
「住まい・まちづくり・ネット」はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/
初めての方はこちらからどうぞ。≫http://www.sumai-machi-net.com/howtouse



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